実るほど頭を垂れる稲穂かな
写真は、建築現場横の麦畑です。金色に輝く麦があまりにもキレイで思わず撮りました。
タイトルのことわざは、稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)が垂れ下がってくることから、
立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢であるという事を意味します。
一方で、稲穂の中身が立派なお米に育っておらず、実がスカスカだった場合には、
重みがなく軽い稲穂になってしまい、そんな稲穂は見た目は立派に見えますが、
穂が垂れるほどの重みがなく、頭が下がっていません。
稲のこの生態の例えるところは、見た目や肩書きは立派だが、中身が伴っていない人は、
虚勢を張って威張るだけの小物であり、人格者とは程遠い人物であるという事を示しています。
深い意味ですね。頭を垂れる稲穂を目指したいと思います。 営業W